鬱の時期
日記をつけ、自らを観察してみることにした。
私は躁状態の時は調子がよく、何か新しい事業を初めてみたいだとか、人に会いたいだとか元気に思うのだが
うつ状態の時はとにかく世の中のほとんどのことが恨めしく、にくい。
とにかく誰にも会いたくないので布団にこもっているし、自分のことを恥ずかしい存在だと思う。
考えてもどうしようもない、答えの出ない悩み事が次から次へを頭を流れるので、仕事も食事も手につかないし、あらゆる生活行動が煩わしい。
自分がなにか、人糞製造機のような情けない物体になった気がするし
(いや、実際そうなのだが)
このような状態では救いも何もないなぁと、ゆるやかに絶望する
躁鬱(双極性障害)と診断されたのは、確か二年前のことである。
ADHDの障害者手帳をもらうため脳神経科を訪れたところ、診断書に双極性障害という症状も追加されていた
先生は「手帳をもらいやすくするために書いとくよ」とおっしゃっていたが
調子のいい時だけ病院に来て、身なりをきちんと整え一見なんの問題もなさそうに偽物のパッケージを作り上げた私を見抜いたのだろう
(前回病院に来たのは半年前)
「随分間が空いちゃったね」
と先生がおっしゃった
「そうなんです、忙しくてなんか来れなくって」
と明るく答える私が世間に隠している鬱の景色を、先生は見抜く。
しかしこの病院は、なるべく薬に頼らないという方針を取っているので、私は薬をいただかずに帰って来た。
しかし今になって思うのが、躁鬱の薬はもらって置いた方がよかったかもしれないということである
私はADHDの薬はいらないが、
(以前コンサータを飲んだ時、辛かった。ひどい目にあったと思う)
躁鬱の薬には興味がある。
例えば最近はマライア・キャリーやチャン・グンソクが双極性障害を告白したそうで、広告やネット記事を勝手にパーソナライズしてくれるネット界のおかげで私は彼らのニュースを目にすることも増えたのだが
やはりどうもこのような記事を読んでいると、薬の力を借りて躁鬱をなだめ、生きていくのも良さそうな気がしてくるのだ
私は自分の体をなるべく薬で汚したくないと思っているが
うつ状態の時の自分にはいい加減に辟易していて
あまりにも人格が違うので、疲れ果てている
途方もない、これなら死んでしまった方がましなのではと思うほど悩むことも多いのだが
死ぬのも怖いし嫌なので、なんだか生きながらえているという状態である
できるなら、ずっと躁状態でいたい
すごく活動的でアイディアに溢れ、一日が24時間じゃ足りないなどというセリフを恥ずかしげもなく呟きまくる、あの躁状態が本当の私であってほしいと切に願う
どうせ死ぬのだから、生き方は好きに決めたい
しかしうつ状態は私の足を引っ張りすぎる
躁状態の時の素晴らしいアイディアを、うつ状態の私は全く理解しない。
完全なる別人格なので、アイディアノートを捨てたりする。
これではいけない。
パートナーシップを保てないなら、鬱くん、君には、やめてもらいたいのだが。
この私の体から、出て行ってくれないか?
これは私の日記で、躁鬱状態をまとめるただのメモである